好きなものを、ちゃんと持っていたい。〜藤井風

藤井風レコード

■ 藤井風との出会いは、静かに訪れた

ある日、Apple Musicのおすすめにふと現れた名前。
「何なんw」というタイトルが気になって、なんとなく再生してみた。
その瞬間、心にすっと入り込んでくるような声に出会った。

軽やかで、どこかおかしくて、それでいて深くて優しい。
言葉の使い方や“間”、音の“抜け”の心地よさ――
これはただの流行じゃない。本物だ。そう思った。


■ 夫婦でハマった、藤井風

その週末、妻とドライブに出かけたときのこと。
「ちょっと面白いアーティスト見つけたよ。気に入るか分からないけど……」と、
車の中で何気なく藤井風を流してみた。

助手席の彼女は「ふーん」とだけ答えて、しばらく無言で聴いていた。
その時は、特に感想もなかったように思う。

でも、気づけば彼女は僕以上の“風リスナー”になっていた。
そして、いつの間にか僕たち夫婦にとって、藤井風の音楽は特別なものになっていた。

幸運なことに、一度だけライブにも足を運ぶことができた。
ピアノの音、言葉の力、MCで伝わる彼の人柄、そして会場の静かな熱――
すべてが、まっすぐに胸に届いた。


■ レコードで揃える。それは僕にとっての“整う時間”

気づけば、藤井風がリリースしたレコードはすべて手元にある。
CDやサブスクでも聴ける時代だけれど、あえてレコードで揃えた理由がある。

藤井風レコード

針を落とす所作、手に取るジャケット、アナログの柔らかな音。
そのひとつひとつが、ただ音楽を“聴く”という行為を超えて、
「音楽と一緒に過ごす時間」をつくってくれる。

生活に余裕があるわけじゃない。
欲しいものを我慢することも、これまでに何度もあった。
でも――このレコードだけは、譲れなかった。


■ tiny desk japan、そして紅白のパフォーマンス

tiny desk concerts japan、そして年末の紅白歌合戦でのパフォーマンス。
どちらも、今でも忘れられない。

テレビ越しに伝わってきたのは、音楽への誠実さと、表現することへの静かな熱意だった。
言葉の一つひとつが丁寧で、どこまでも自然。
作られた“演出”ではなく、彼自身のままであることに心を打たれた。

「やっぱり、僕はこの人の音楽が好きだ」
そう、静かに確信した。


■ 欲しいから買うんじゃない。「持っていたい」から買う

誰かに見せるためじゃない。
SNSで自慢するためでもない。

ただ、自分の人生の中に――“ちゃんと置いておきたい”ものだった。

50代になって、ようやく分かってきた。
「好きなものを手元に残すこと」が、自分の心を支えることもあるということを。


■ 副業も資格も、「好き」を手放さないために

このブログを書いているのも、
副業に挑戦しているのも、
資格の勉強を続けているのも――

「好きなものを、我慢しない自分になりたい」からかもしれない。

音楽を楽しむ余裕。
レコードを気兼ねなく買える自由。
そして、「これが自分の幸せです」と言える生き方。

そのために今、少しずつ行動している。


■ 最後に:From now on

藤井風のレコードを聴く時間は、僕にとっての“整う時間”だ。
心がざわついた日も、疲れが抜けない朝も、
音楽は、黙ってそばにいてくれる。

From now on。
今さらじゃない。今から、だ。

崖っぷちでも、前を向いて。
今日もまた、針を落とす音から一日が始まる。
今日も、針を落とす音から一日が始まる。

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